先日書いた、「労働者側? 使用者側?」の続きです。先日の事例について解説していきます。これを読んでいただければ、私が労働者側だけでなく使用者側に立つこともある理由がお分かりいただけるのではないかと思います。

残業手当込みで給与を決めることが許されるのか?

本件では、Aさんが、基本給22万円、残業手当は別に支払うと言っていたのに、Bさんが、計算も大変だろうから、残業手当込みで25万円にして欲しいという申し出をして、Aさんもこれを受け入れています。このように、残業手当込みで給料の額を決めることが許されるのでしょうか?
例外が全く無い訳ではありませんが、本件では、割増賃金の支払い義務を定めた労働基準法37条違反ということになるでしょう。
でも、本件では、AさんとBさんが合意で決めています。これでもダメなのでしょうか?
労働基準法13条は「この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、この法律で定める基準による。」と定めていますので、本件の合意は無効となる可能性が高いです。
それでは、本件では、時間外手当はどのようにして計算されるのでしょう。AさんとBさんの合意では、「残業手当込みで25万円」という合意はされていますが、そのうち、基本給分がいくらで、残業手当分がいくらという合意がされているとは言えません。また、給与明細にも、「基本給 25万円」と記載されています。これらのことから考えると、25万円を基準として、それを月平均所定労働時間で割り、それに1.25をかけた金額が、1時間あたりの割増賃金になります。細かい計算は省きますが、割増賃金の単価は、1800円ちょっとになると思います。

手書きのメモが残業時間の証拠になる?

本件ではタイムカードがなく、労働時間を知る手がかりとなるのは、Bさんの手帳のメモだけのようです。このような手書きのメモが、残業時間の証拠となるのでしょうか。
本来、労働時間を把握するのは、使用者であるAさんの義務です。しかし、Aさんはその義務を果たしていません。Bさんのメモの内容が、Aさんの会社の業務の実態と合致しているかどうか(例えば、Aさんの会社の受注の記録をみると、その時期にはほとんど仕事がなかったのに、メモでは残業が続いているなど)という点なども考えなければいけませんが、たとえ手書きのメモであっても、ある程度の証明力はあります。
なお、Bさんが仕事の途中で抜け出していたという点については、その記録が残っているかどうかが大きな問題になりますが、おそらく、残っていない可能性が高いでしょう。となると、会社を抜け出していた時間を差し引くというのは、なかなか難しいと思います。

給与額が30万円になったことは?

本件では、Bさんの申し出を受けて、給与額を30万円にしています。Aさんとしては、差額の5万円は残業代のつもりだったのでしょうが、その点について、Bさんとの間で明確な合意があるわけではなく、給与明細の記載も「基本給 30万円」と記載されていますから、30万円を基準として割増賃金の単価を算出することになります。実際に計算すると、2200円弱になると思います。

割増賃金は、どれだけ遡って請求できる?

労働基準法115条は、賃金の請求権の消滅時効期間は2年(退職手当は5年)と規定しています。Aさんが相談する弁護士は、この時効の援用を勧めるでしょうから、Bさんが遡って請求できるのは2年分です。
Aさんの残業時間が、月平均で40時間弱あったとすると、過去2年分で約200万円になります。

利息は?

「賃金の支払の確保等に関する法律」という法律があります。略して、「賃金確保法」とか、「賃確法」とか呼ばれますが、この6条に、未払い賃金についての利息は、退職後は年14.6%で計算できるという規定があります。

というわけで、Bさんは、法律的に見ると、特に無理なことを請求しているわけではありません。Bさんの代理人となった弁護士は、ほぼ、Bさんの主張の通りの請求をするでしょう。
しかし、私としては、Bさんの代理人になりたいとは思いません。
なぜなら、Bさんのとった手法は、倫理的に問題があると私は思うからです。給与額を、残業代込みで25万円にして欲しいとBさんが言った時、そして、残業が増えているから30万円にして欲しいとBさんが言った時、Bさんは、25万円や30万円を基準として割増賃金の額を計算するということを十分知っていて、こういう発言をしていると思われます。仕事の途中で抜け出してパチンコ屋に行っていることについて、Aさんから注意された時に言い返していることについても、終業時刻を遅くして、その分の残業手当を請求できるようにしようという意図があったと考えられます。

もちろん、Aさんにも問題はあります。一番の問題は、労働法に関する知識がなさ過ぎること。労働時間管理は使用者の責任であるし、割増賃金の支払い義務もあることは、絶対に知っておかなければならないことです。Aさんは、Bさんから、割増賃金も含めて給与を決めて欲しいという申し出があったからそれに応じたんだと言うでしょうが、既に書いたように、たとえ労使の合意があったとしても、労働基準法の基準の方が優先するということを、Aさんは知っていなければならなかったのです。ちなみに、Aさんの会社は、従業員が10人未満ですから就業規則の作成義務はありませんが、就業規則のある会社であれば、就業規則の基準を下回るような労使の合意も無効です(労働契約法12条)。
さらに言えば、既に終わったことではありますが、Bさんに辞めてもらうという判断は正しかったのかどうか、また、解雇予告手当(30万円)の支払いだけでよかったのかどうかも、Aさんの会社の経営状況を考え合わせて検討する必要があるかもしれません。

このように、Aさんにも責められるべき点はあります。しかし、私としては、BさんよりAさんの方を助けたいと思います。労働法の寄って立つ理念型としては、労働者は使用者に対して弱い立場に立たされているということになりますが、本件は、必ずしもその理念型のとおりとは言えないと思います。

というわけで、私は、使用者側の代理人になることもあります。但し、私が使用者の代理人になる場合、その使用者は中小企業であり、かつ、使用者側に同情すべき点がある場合です。

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